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 ──────みたいになりたかった。

 中学になってカラ松の馬鹿が演劇部に入った。僕らは六つ子でその頃はまだそれぞれの輪郭が曖昧だったから、誰かに成り済ましたり、入れ替わったりは日常茶飯事だった。だからきっと誰でも良かったんだろう。兄弟のフリをするのと縁もゆかりもない赤の他人を演じるのとでは全然違うと僕は思うのだけど、とにかくあいつの周りにはそうやって誘う奴がいて、他の奴らにはいなかった。それだけの話だ。
 やがてカラ松の奴は部活以外でも変に演じるようになり、子供の頃空っぽだったあいつは今じゃ尾崎が好きでどキツいセンスでまともに会話もできない、松野クソ松に成り上がったって訳だ。うわー、思春期の影響クソ怖い。
 最初のきっかけはそれだと思う。少なくとも僕にはそう思えた。
 あいつが紛い物でも自己を形成しようとしていく中で、外の奴らの奇異な目にもなんとなく当てられて、僕らも少しずつ手探りではありながら兄弟との違和感を強調させて取り付けていくようになった。
 僕はあの時挫折した。















 僕の名前は松野一松。
 松野松蔵と松代の間に生まれた六つ子の内の四男だ。
 もう知ってるって? すみませんねぇ気が利かなくて。
 じゃあ知らない方を紹介しよう。こっちはテレビに出てないから。
 僕たちはこの両親と男六人兄弟の八人家族なんだけど、最近我が家の隅にもう一人、邪魔なよそ者が居座っている。
 他人の名前は
 職場の寮が火事で全焼し、一時的にうちで預かることになった僕たちの従妹だ。(じゃあ職場がどっか別の家を用意しろよクソが)
 これも聞き飽きたって? あ、そうですか。あと二回くらいはやると思うから覚悟しときなよヒヒッ。

 僕は他人を待っていた。
 深夜三時、部屋の電気も点けないで。

 別に部屋が暗いことは平気だ。どこぞのトッティじゃあるまいし。どちらかと言えば上で寝ている誰かが起きて下に降りてきてしまわないかその方が気にかかる。
 やっぱりアイツに貸してる部屋に直接いた方がよかったか。しかしクソ女なんかのために万が一にもあらぬ誤解を受けるなんてごめんだ。
 そうこうしている内に玄関の方で戸を開ける音がする。動かなくてよかった。僕は障子をそっと引き、前を通ったの腕を掴み居間へと入れる。
「おかえり」
「くさっ!? お前、一松かっ痛いいたいごめん抓るのヤメテ!!」
「痛いの嫌い?」
「今そういう性癖の話してないからね!? いてててて」
 ひとしきり抓ってからとりあえずは手を離す。皮でも剥ければいいんだこのバーカ。ついでにきっちり障子を閉めるのを忘れない。
「なんでわかったの?」
「しょうがないだろ、飼ってない人間からしたらやっぱ臭うんだよ」
 しかも野良でしょ、とぼやきながら腕をさする
 そんなものだろうか。
 自分で手首の辺りを嗅いでみてもわからない。なんにせよ、口臭とか加齢臭じゃなくてよかった。
「こすりつけるな!!」
「話があるんだ」
「は?」
「好きな奴いる?」
「……は?」
「いやいや、うちの兄弟がお世話になってるみたいだしねぇ?」
「松野家にはお世話になってるけど、こっちがそんなことした覚えはないな」
「カラ松の見分けついてるだろ」
「……」
「トッティのバイト先も知ってたよな」
「……だからなんだってんだ」
「相手に優しくしてる自覚はある?」
 そう聞いた途端、声と視線と空気と、僕に向いて敵意になりかけていた緊張が一気に霧散した。
「優しく……?」
 反復する声がお前の目は腐っているのかと困惑している。うるせぇ。
「あれでどっちかがお前に惚れるとか考えたことない?」
「いやぁー、…………ないだろ」
「へぇ、自覚なしですか」
 予想通りだクソ女。
「悪意にはもっと自覚的な方がいいんじゃないですかねぇ?」
「さっきからお前はなんの話をしているんだ。禅問答か」
「ここから出ることだけ無責任にたぶらかして、いざ出たとしても外じゃなくてまたお前の檻に入るだけ。しかも自覚もないから、いざ相手が落ちてきたら見放す可能性もあるときた。酷いねー、タチ悪いねー。巻き込んだんならせめて最後まで責任もって面倒見て骨まで拾えよ」
「だからなんの」
「アンタのやってることは俺たちと大して変わらないんだよ。よそ者がうちに介入してくるな」
 威圧感を出して言った忠告だったが、の反応は肩を普通の位置から更に下げるだけだった。いくらか柔らかくなって返される声も癇に触る。
「心配しなくても兄弟をとったりしないよ」
「好きになるのに理由なんてないからな」
「わぉ、ちょっと格好いいね」
「ちゃかすな」
「でもじゃあどうやって信頼勝ち取ればいいんだよ。今の状態じゃなにしたって疑うだろ」
「……」
 そこまでは考えてなかった。
 どうしよう……。僕は口に手を当てて考える。思いもしなかった方向から答えが返ってきたりするから、やっぱりコミニュケーションは苦手だ。
「……じゃあ、今までどんな人を好きになった?」
「恋バナ!? 私お前と恋バナすんの!? こんな深夜に!? しかもこっちだけ!? なんでこれだけのために今までのトラウマお前に打ち明けなきゃいけないの? いっそ殺せ!! 今すぐ!!」
「ほらほら、言えよ。好きな人に何されたい?」
「うーん、えぇー、…………うわー、やっぱ駄目だ。殺してください」
『誘拐して閉じ込めたい』
 不意打ちで聞こえた剥き出しの悪意に、身の毛がよだつ。
 独特な、少し濁っているような高さの声。
 聞き覚えのある声だった。
 ここにいる僕と以外の第三者、でもまぎれもなく目の前にいるこいつの本音だと確信できる声。

「もう寝よう。幻聴が聞こえだした」
「いやいやいや今のを訂正しやがれクソ女!!」
『怖いよなに言ってんのこいつ!? 気ィ狂ってんじゃないの!?』
「なにが? 今の明らかに私の声じゃなかっただろ」
『うわー、こわいこわい。なんだ今の』
「おい、この犯罪者予備軍。仕方ないから教えてやる」
『エスパーニャンコだ。なんで。どこに』
「まぁ今ので大体概要はわかったからもういいよ」
『くっっっそ面倒臭い』
「お前本当本音最悪だな」
『僕ももう切れてると思ってた』
「一松、心の中じゃ僕って言うのか」
『ちょっと可愛い』
「可愛いって言うなこの野郎!!」
『可愛いって言うなこの野郎』
「私が言ったんじゃない」
『私が言ったんじゃない』
 一瞬間ができると僕もも黙ってしまった。
 腹の探り合いができないのは面倒でない分、据わりが悪い。どちらとも口を開かず間合いを測ったフリをしたまま、段々耐久戦みたいになってきた。
 埒が明かないと先に折れたが溜息を吐いてから喋る。
「……とりあえず探すか」
『やりづらい』
「……賛成」
『同感』

「猫ー」
『猫さーん』
「どこだー」
『出てきてくださーい』
 電気を点けてから上の方やタンスの裏側も覗いてみるがニャンコの姿は見つからない。でも声はする。さっきから呼びかけているの声に反応している。
「ねこー」
『ねこさんー』
 は内心を上手くコントロールしているようで、呼びかけに続くニャンコの台詞も同じものしか返ってこない。おかげでネコネコネコネコとキリのない輪唱を聞かされて気が狂いそうになる。
というか概要がわかっていてなお、臆することなく声を出す(あとこの猫々エンドレスに平気でい続ける)こいつのメンタルが怖い。今は上手く操作できていても、いつ内心が漏れるかもわからないのに。
「ねこー」
『いやー、このまま話が逸れそうで助かった』
 ほら。
「おい」
『おい』
 聞き捨てならない台詞に牽制で声をかければ、相手は僕を無視して猫々天国に戻る。ムカついたので間に割りいるようにドスをきかせてもう一度呼ぶ。
「後でちゃんと聞くからな」
『忘れてねーし』
「いい加減眠い」
『明日も仕事なのに』
「じゃあこんな時間に帰ってくるな」
『俺だって眠いわ』
「心配しなくても本当に好きにならないよ。今そんな」
『もう、傷を舐めるのはこりごりだ』
 話を遮る形で押し入ったニャンコの声に僕は後ろを振り返る。テレビ台辺りを探していたはずのの背中は固まっていて、 次いで苛つきがありありとわかる大きな舌打ちが出た。
「……本当、やりづらいな」
 その後捜索を再開するも、がエスパーニャンコに呼びかけることはなかった。






「自分のいいところなんて見つからない」
「────あ?」
 ふいにの奴が声を出す。
『いい加減、自分を悪く言って肯定するのも疲れた』
 いきなりなんのことか意味がわからず、続いてニャンコが喋った内容でぼんやりと愚痴か独り言だと判断ができた。
「悪く言ってる方が落ち着く」
『それでもいいところなんて見つからないんだ』
 ゴミ。人間のクズ。犯罪者予備軍。
 なんとなく自分が普段口にする台詞を思い出す。
 だって褒められるところなんてないし、褒められるような人間じゃない。だから欠点ばっかり目につくし、短所を上げ連ねてそれでもいいと諦める(ところがまぁクズなんだろうけど)方がよっぽど自分を受け入れられる。明るいってなんだ。死ぬことか。
 いいところなんて見つからない。
 悪く言っている方が落ち着く。
 僕も同じだ。
「(……違う)」
 こいつの場合、その後エスパーニャンコが言った方が本音だ。
「駄目なんだ」
『なんで上手くできないんだろう』
「自信がない」
『大した価値もないのに』
「自分に、今まで親がかけてくれたお金と時間に報いるだけの価値もあるとも思えない」
『一番がいいよ』
「だって駄目なところがたくさん出てくる。いいところなんて、そんなもの、少しぐらいあったって誰でも持ってるものだから」
『私だけって言って欲しいよ』
「そんなの無意味だ」
『でも、それがもらえるだけの価値がないこと、自分が一番わかってるじゃないか』
 おいおい、自分の傷口開いてこっちも痛めつけようとするとかイイ趣味してんな。さっきトラウマ話せないとか言ってた奴はどこのどいつだ。
 マゾなのかサドなのかどっちだよ。

「だってうまくいかなかったから」
『生きているのは地獄だ。さっさと死んでしまいたい』


 やめろ。

 やめてくれ。



「もっとさぁ、社会に適応した良い子になりたかったよね」
『こんな風になりたい訳じゃなかった』

 ──────おそ松兄さんみたいになりたかった。
 明るくてなんでもできて(それは子供の頃の錯覚だったけど)、欲しいものは勝ち取って、頭もよく回るし、何より一番身近にいたモデルだった。
 皆が個性を取り入れようとしだした頃、僕はおそ松兄さんみたいになろうとした。だって六つ子だ。それまではずっとできていた。だから一人になってもできると思っていた。
 六つあったものが一つに切り離されたって、同じものが六等分されただけなのだから、一人になっても今までと同じように、今まで通り同じことが、できると思っていた。
 他の皆が羨ましかった。どうやって兄弟以外のところからモデルを見つけてきたんだろう。
 他の皆が恨めしかった。なんで変わっていけたんだ。
 なんで個性なんてもの身に付けようとしたんだよ、クソ松の馬鹿野郎。




「あ、猫みっけ」
『猫さんみっけ』
「触るな!!!!!」
 手を伸ばしたにニャンコを触らせまいとふんだくった。当たった爪に少し濡れた感覚があったからどうやら引っ掻いたみたいだった。
 は手の甲の傷を撫でてぼそりと呟く。
「痛いのが好きになりたい訳じゃなかったんだけどなぁ」
『それすら、もらえるものだと思うと愛しい』

 ここは地獄だ。
 居心地のいい地獄。
 価値がないのなんてわかってる。
 クソ松のせいでもない。適応できなかった、なれなかった僕が悪いんだ。

「うちから出ていけ」
『ひとりにしないで』

 六人いるから居心地がいいのであって、取り上げられて掬い上げられて出ていって、そうして一人になってしまえばただの地獄だ。
 六つ子なのにもう他の誰かの真似はできない。望んだ誰かにはもうなれない。
 父さんや母さんが恥ずかしくない誇れるような人間にもなれなくて。
 はみ出し者だ。恥さらしだ。ゴミ屑だ。

「さっさと出ていけ」
『ぼくを置いていかないで』

 それでもまだ僕は、この手を皆から離すことができない。






「安心しなよ一松。もうすぐいなくなるからさ」
「……え」
 あんなに望んでいた言葉は、開けてみればあっけなく吐き出された。小さい子に言い聞かせるような声で、おまけに頭も撫でては部屋を出ていった。完全に子供扱いだった。
 僕は呆然と彼女の出ていった障子を見つめる。
 生きているのは地獄だ。さっさと死んでしまいたい。
 エスパーニャンコが言っていたあいつの本音が頭の中を反芻する。
 の姿はもう見えない。廊下を歩く足音も、部屋にいたはずのぬるい温度も、僅かに爪で引っ掻いた感触もあっという間に消えてなにもかもわからなくなって。
 心配そうに寄ってきたニャンコの体に鼻先を埋めても、さっきから震えが止まらない。
 こんなこと知りたくなかった。

 僕は
 僕は────
 僕は──────────