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 まず最初に、殴り殺さねばなりません。
 いえ、殴打する必要はありません。今のは比喩です。ただ、できるだけ惨たらしい方法で殺してください。何でも構いません。命でも心でも誇りでも信念でも信仰でも絶対でも正義でも人生でも、何でも。どんな対象でもどんな手段でも構いません。皆の印象に残るように、世界から忘れられないように。できるだけ、あなたが思う最も残虐で、惨忍で、救いのない方法で殺してください。
 そうでなければ、この世界では生きていけないのです。




 初めに自己紹介をしておきます。
 松野。大学生です。父と母、上に兄が六人いて、皆と一緒に暮らしています。以後お見知り置きを。
 兄たちについてはまたおいおい話すかもしれませんが、今はとりあえず赤・青・緑・紫・十四松兄さん・ピンクとぼやっと覚えておいてください。最近あの人たち色分けしてるので。認識はしといてもまともに構わなくていいです。どいつもこいつもロクなもんじゃないので。適当にあしらっといてください。特に赤いのは駄目です。あれはすぐ金をせびるし、財布をスるし、下手すりゃ人の金庫まで開けてきますからね。そういう悪知恵だけ働くどうしようもない屑なんです。
 それで、最近兄が結婚することになりました。結婚することになったのはカラ松兄さんです。上から二番目。青色。ナルシスト。だけど優しくて、時々冷たい。そんな兄さんが花の妖精と結婚することになりました。これは比喩ではありません。嘘偽りない現実です。なんでも「枯れかかった醜い花にウイスキーをやったらレディになった」とかいうふざけた成り立ちですが、残念ながら事実です。
 カラ松兄さんがフラワーと呼んでいる彼女ですが、なんというか、その、まあ、結構酷い女性で。常日頃兄弟の過干渉に多少うんざりしていた私は、他の兄たちが二人を別れさせるよう協力を求めてきた時も丁重にお断りしたのですが、それでも一方的に搾取されているようにしか見えないカラ松兄さんに無関心を貫くのも(私には搾取にしか見えなくてもカラ松兄さんの心根はわからないので)なかなか辛いものがありました。
 だから、彼女のために二時間以内にコンソメWパンチとプレミアム黄金チキンとからあげクンを買いに走ろうとするカラ松兄さんと玄関で鉢合わせたとき、我慢できずつい声をかけようとしたんですが……………………かけようとしたんですけどあの男、すれ違いざまに尾崎豊の「I LOVE YOU」を口ずさんでいまして。思わず歌詞検索をした私は持っていたスマホを床に叩きつけることになりました。尾崎に罪はないけども。尾崎に罪はないけども!!
 もううちのバカのことはいいです。大事なのはそこじゃないんだ。あいつは元気です。

 本題の話をします。
 時を同じくして、幼馴染のおでん屋がしばらくの間店を休業していました。
 何故かというと、彼もまた花の精とイチャこいていたからです。
 どうして私がそれを知っているかというと、幼馴染を心配して跡をつけていたカラ松兄さんの跡を私もまたつけていたからです。カラ松兄さんの交際関係に言及しなかったかの理由には、単に追いかける対象を途中からチビ太(幼馴染のおでん屋です)に乗り換えたので、そちらの詳細をあまり把握できなかったというのもあります。もう帰ってきた頃にはゼクシィ開いてたんですよね。
 チビ太は兄とは違い、誠実で、澄みきった、おでんのダシにも使う綺麗な綺麗な水をあげていました。そしてそのとき、チビ太は悩んでいました。自分の思い描く味にたどり着けない。究極の味を追い求めていたとしても、客はそこそこ美味しくて手軽に買えるコンビニに行ってしまう。思いは歪み、道はふさがり、理想の輪郭には靄がかかり、何をしても転んでしまう状態でした。
 イチャこいているというと言葉が悪いですが、彼女の存在はチビ太にそれまでとは違う視点を見せ、靄を晴れさせ、確かに彼の救いとなっていました。彼の心を掬い上げていました。
 でも、彼女は死にました。
 状況だけを見れば、女の子の精にうつつを抜かしたチビ太が本体である花の方に水をやり忘れたせいです。でもそんなのはきっとうちの次男だってしていません。それでは愛情が不足していたのか? いいえ、そんなことはありません。そんなものはありません。愛情に貴賎などないのです。利点も欠点も含めてそれはそうなった時点で既にそういうものであり、他者からの勝手な優劣などつけられないものです。
 では何故? 彼女は消え、義姉は残ったのでしょうか?




 お昼を食べ終わって皆がのんびりと過ごしていた午後、私は二階で寝ていた十四松兄さんをトランクに詰めていました。
 髪の毛がフチからはみ出さず、全部綺麗に入ったので蓋を閉めようとしたところで、カラ松兄さんに見られました。
「シスター、おでかけか?」
「……うん」
「その、そこに入っているブラザーは……?」
「カラ松兄さん!!」
「ひゃい!」
「私、十四松兄さんと愛を証明してくるから」
「!! そうか!!」
 カラ松兄さんはいたく目を輝かせました。
「今なら下に誰もいないぜ!! 気をつけてな!」
 自分が入ってきた襖を再度開け直し、どうぞと言わんばかりに道を譲ってくれた兄さんに感謝しながら家を出ました。最後に会ったのがあのロマンチストで心底よかったです。あばよカラ松兄さん、幸せになってくれ。ハートフルな絵ハガキは送らないけど、なにかお土産は買ってきます。
 そうして駅へ行き、二人分の切符を買い、途中で起きた十四松兄さんの鼻を頼りにあなたに会いにいきました。
 着いた場所は、雪に埋もれた町でした。
 新幹線で盛岡まで行き、あとは高速バスで青森へ。それからローカルバスを乗り継いで、乗り継いで、着いたときにはすっかり夜が更けていました。足は嵌るわ、自分たちの背をゆうに越える壁があるわ、何も音が聞こえないわ。空の星だけは綺麗でしたがどうでもいいです。寒さと恐怖で死ぬかと思いました。
 バスの中で危篤に瀕していた十四松兄さんが心配でしたが、途中で臨界点を突破したのか狂ったように屋根の上を這いずり回っていきました。
 沈む足を一歩一歩抜きながら兄さんを追いかけますが、距離がちっとも縮まりません。声を張って呼びかけてもハイになった兄さんは止まりません。行き着くところまで行き着いた十四松兄さんが戻ってくる方が早かったです。
 カービィのホイールよろしく凄まじいスピードで転がっていった十四松兄さんはそのまま華麗にターンを決め、雪をまとって膨らんでいきました。そしてこちらまでどんどんやってきて、私の真上に落ちてきました。

 雪玉に潰されて真っ暗な視界の中(もともと真っ暗でしたが)、全身打撲の痛みを伴いながら雪を掻きますが全く開けませんでした。上に乗っかった十四松兄さんはさっきの衝撃で伸びています。使えない。携帯を家に置いてきたことをこのときほど後悔したことはありませんでした。
 掻けども掻けども外が見えず、視界は晴れず、これはもう本格的に駄目かと意識を手放しかけたとき、頭の上を小さな悲鳴が飛んでいきました。
 ……悲鳴?
 痛む体を伸ばしながら首を上げると、突如電源の入った十四松兄さんが起き上がり、穴という穴から水を噴き出して周囲の雪を粉砕しました。
 見上げた先には小さな女性がいました。
 声の出所はあなたでした。
 星が瞬く澄んだ夜空にあなたは一人、立っていました。
 あなたは一瞬だけ涙ぐんで、十四松兄さんを見てすぐに、写真からは想像できなかったくらいに大きく口を開けて笑って、十四松兄さんはつららになってしまった水を恥ずかしそうに切り落としました。
 私は写真ではないあなたの姿を初めて見ました。



 突然ですが少し昔話をします。
 中学の頃、体が消えかけたことがありました。
 詳細についてはちょっと省きますが、結果的におそ松兄さんの財産を盗むことで元に戻りました。
 別に善人ではありませんし、おそ松兄さん相手に罪悪感など清々しいほどありませんでしたが、紙幣を掴んでさっきまで透明だった自分の指に色が戻ったとき、涙を我慢することができませんでした。
 善人ではありません。悪いことだってするときは平気でします。でも、だからって、決してこんなことがしたい訳じゃなかったんですよ。
 なくなったことがバレるのが嫌で、皆が違和に気付くのが嫌で、探り合いが始まってしまうのが嫌で、責められるのが嫌で、追求されるのが嫌で、自分がやったと白状するのが、真実を話すことが、信じてもらえないことが、嫌で、嫌でたまらなくて、抱えきれない後ろめたさを放り捨てるために、盗んだお金をすぐに鶏肉と交換しました。
 商店街から帰ってきてから台所に立っていると、誰かに声をかけられました。
「何してるの?」
 声をかけてきたのは十四松兄さんでした。そのときおそ松兄さんでないことに何よりも安堵しました。しかしその中でも特に十四松兄さんでよかったと思います。下の兄たちは、割と何をしてても口を出しませんから。
 十四松兄さんは油切り用のバットに乗せていた唐揚げのひとつを摘んで、「これ、生焼け」と眉を八の字に下げていかにも不味そうな顔で私を見ました。
 どう返すべきか迷っていると、「これも生焼け」「これも」「これも」「全部じゃん!」「、料理へっただね!!」と全ての唐揚げを飲んでいきました。
 そしてまた、全て口の中から出しました。
「……」
 串と照り色のタレをつけて。
「焼き鳥の方がうまいよ!!」
「…………」
「んまーい!!!」
 正直に打ち明けると、人体から串とタレが出てきたことより一度口に入れたものを出してきたことの方にドン引きだったのですが、他はどんどん食べていくにも関わらず、私に持たせたものだけ一向に手をつけてこないので、これは食べろということなのでしょう。……ええい、涎がなんだ、胃液がなんだ、と観念して口に入れた焼き鳥は、茶色いタレの味ではなくさっきまで漬け込んでいたにんにくの味がしました。
「……おいしい」
「あ!!」
「!?」
「泣き止んだね」
「…………」
「よかったよかった」
「ただいまー、何してんの?」
「……」
「おかえりー!! 焼き鳥! 兄さんも食べる?」
「もらうー。なに、この油?」




 孤独な幼馴染のなにか、良い変化になるはずだった花の精は消えました。
 それはおそらく、綺麗なままだったからと私は思っています。
 水など与えなくていいのです。愛情など自分から取りに行けばいいのです。自分の手で、この世に存在する権利を勝ち取らねばなりません。だから争わなきゃいけません。敗北者は世界から消されてしまいます。そのがめつさが、たくましさが、しぶとさがこの世界では必要です。
 金庫に入っていたあなたの写真は消えかかっていました。天井裏の宝物の中に仕舞われていたプリクラも十四松兄さんしか写っていませんでした。
 この世は綺麗なだけでは生きていけません。ですが、十四松兄さんは亜種です。少し弱いですがカラ松兄さんもそうです。
 亜種は汚れなくても生きていけます。
 その分狂人であらねばなりません。
 狂人は汚れなくても世界には覚えられますが、周囲には理解されません。
 体が元に戻った少しあと、私も十四松兄さんの真似をして河で泳いでみたり屋根から転げ落ちてみたのですが、風邪をひいたり大怪我をするだけで、家族に止められ十四松兄さんにもかなり本気で叱られたので諦めました。
 物理的な負担がキツくなかったといえば嘘になりますが、それよりも奇行をした際に向けられるあの、心配や怒りを通り過ぎて届く、理解の範疇を超えたものに対する脅えるあの視線にずっと晒される方がより厳しかったと思いました。やがて無理解が固定化され、無視されがちになったカラ松兄さんを見るのも。
 私は十四松兄さんになれませんでした。
 人間から遠ざかって孤独になっていく狂人に、私ではなれませんでした。
 私たちは狂人になれません。だから時々悪事をします。
 この世界では綺麗なだけでは生きていけません。
 だから私はあの夜、行くあてもない私たちをあなたが泊めてくれたあの夜。
 あなたのことを押し倒しました。



 今思えば、自分がもともとこういう卑怯な性格だとあの頃からわかっていました。
 ────いえ、いえ。あなたを巻き込んだことを謝ったりしません。今の二人が本当にわかりあって別れて、それぞれ結ばれなくとも構わないと、もっと端的に言えば既にお互い好きじゃなかったとしても、二人を勝手な理想の型に嵌め込もうとしたことを謝ったりなんか絶対しません。
 私は十四松兄さんが好きです。
 カラ松兄さんのことは途中で投げ出したのに、何故十四松兄さんにはここまで余計な首をつっこんだのか。理由はとても明確で、あっけないほど簡単で、それは単に、十四松兄さんの方がカラ松兄さんより好きだったからにほかなりません。
 十四松兄さんは亜種です。汚いことをしなくとも生きていけます。きっと兄弟の中にいなくとも。
 けれどあの人はここから離れていこうとしないから。
 そういう人なんです。きっと一人で生きていける、一人で幸せになれるはずの人なのに、皆が心配で離れていこうとしないから。
 きっと、一人で幸せになっても嫌がるだろうから。
 だから、どうか、お願いします。
 どうかこの世界に残ってください。
 どうかあなたも汚れてください。
 どうかあの人の隣にいてください。
 押し付けだとわかっています。汚いエゴだとわかっています。
 ええ、勘違いなどしません。自惚れません。忘れません。
 これは決して──────救いなんかじゃありません。
 それを一生、謝ったりなんか絶対しません。
 それでもどうか。
 ──────どうか。